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2021年01月03日

<2ソースカツ丼>心満たすソウルフード



丼から具材がはみ出るほどのボリューム感。蓋を開けると、立ち上る湯気とともに甘酸っぱいウスターソースの香りが鼻をくすぐり、一気に食欲をそそられる。敷き詰められた大判の豚カツとソースの染みたご飯との相性は抜群だ。

 福井の食を紹介する際、おろしそばと並び、必ずと言っていいほど名が上がる「ソースカツ丼」。観光客向けとしてではなく、家庭でも定着しており、県内で「カツ丼」と言えば、このスタイルを指すことが多い。他地域で一般的な、溶き卵で豚カツをとじたものは、区別のために「上カツ丼」とも呼ばれている。

 そんなソウルフード誕生の背景を、考案者・高畠増太郎さんの孫で県内に19店舗を数える「ヨーロッパ軒」の3代目高畠範行さん(68)が「100年前のドイツ、東京、福井を巡る数奇な物語があったんです」と明かしてくれた。

 明治後期、西洋料理を学ぶために海を渡り、ベルリンで6年間修業した増太郎さん。帰国後の1913年(大正2年)、東京で開かれた料理発表会で、誰も見たことのないメニューを披露する。ドイツの肉料理「シュニッツェル」と現地で感銘を受けたウスターソースを組み合わせた一品だった。

 ただ、本来、増太郎さんがドイツから戻る予定はなかったという。「お見合いのために一時帰国しただけだったが、その間に明治天皇が崩御された。喪に服す時期に再渡航は難しかったのでしょう」。東京・早稲田大学近くに店を構え、腹をすかせた学生たちにソースカツ丼を提供するようになる。その店の名こそ、今に続く「ヨーロッパ軒」だ。

 しかし、またしても運命を変える出来事が起きる。23年(大正12年)の関東大震災で当時神奈川県横須賀市にあった店も被害を受け、翌年、故郷・福井市に店を移した。当時まだ洋食が珍しかったこともあり、店は大繁盛。福井でも空襲や地震に遭ったが、のれんを下ろすことなく、復興に向かう県民の腹を満たし続けた。

 祖父、父からバトンを受け継いだ範行さんは「いい時代も悪い時代も、県民とともにあったソースカツ丼。『元祖』の味をいつまでも守りたい」と力を込める。

 県内にソースカツ丼が根付いて100年弱。今や福井市のカツ購入額は日本一を誇る。総務省の家計調査によると、1世帯あたりの平均購入額(2017〜19年)は4128円で、2位の富山市(3192円)とは大きな開きがある。

 一方、その理由を、県内が全国1位の「共働き率」に見る向きもある。県ブランド課の担当者は「仕事帰りにスーパーで総菜のカツを買う、という習慣が根付いている。それは、夕食に手間をかけられない中でも、おいしくて満足感のある物を家族に食べさせたいとの思いでもある」とする。

 偶然の重なりから生まれ、県民の暮らしぶりに沿うようにして誕生した「カツ王国福井」。約10年前、大野市で、その系譜に連なる〈新星〉が誕生した。

 特製の醤油しょうゆだれで味付けし、大葉や大根おろし、千切りキャベツなど、たくさんの野菜とともに盛りつけた「醤油カツ丼」。開発した「野村醤油」の6代目野村明志さん(47)は「ソースと来れば醤油もありだろう、と。様々なアイデアで、福井のカツ文化を盛り上げたい」と意気込む。



posted by terry at 16:02| Comment(0) | 楽天ショッピング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする