暮らしとショピング








商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。お買い物される際には、必ず商品ページの情報を確認いただきますようお願いいたします。また商品ページが削除された場合は、「最新の情報が表示できませんでした」と表示されます。
PIZZA-LA <宅配ピザならピザーラ>
日比谷花壇 フラワーギフト 誕生日プレゼント 花





ネットサポート 










2019年11月12日

「高山ラーメン」なぜ誕生? 「中華そば」が別の町で…



アニメ映画「君の名は。」にも登場した高山ラーメン。今では、飛騨地域を代表する食の一つに数えられるが、この山深い高山でなぜラーメンがご当地のグルメとして誕生したのか。また、地元の人は高山ラーメンとは言わずに「中華そば」と呼ぶが、一体誰が名付けたのか。謎を探ってみた。

 高山市に住む人は年越しで、そばではなく、中華そばを食べるほどのラーメン好き。高山市内の町を巡ると、至るところで「飛騨高山中華そば」や「飛騨高山ラーメン」、「中華そば」の看板が目に付く。

 高山麺類業組合の鈴木雅成組合長(68)によると、「飛騨高山中華そば」には緩やかな定義がある。まず、スープは魚介だしをベースにしたしょうゆ味。麺は細麺で、具はシンプルにネギ、チャーシュー、メンマだけ。スープを一つのずんどうで煮込むため、朝と夜で味が変わるのがまた味わい深い。鈴木さんは「かっちりと決まっているわけではなく、そういうふうに教えられてきただけだけど」と笑う。

 高山市内には、高山ラーメンの元祖とされる人気店「まさごそば」がある。訪ねると、三代目当主の坂口健司さん(55)が「まずは一杯食べてみなさい」と中華そばを薦めてくれた。濃い口しょうゆのスープに細麺、メンマとネギとチャーシュー。まさに定義通りのシンプルな仕上がりだが、こくがある。

 坂口さんによると、創業したのは富山県出身の料理人、坂口時宗さん(一九一四〜二〇〇八年)。東京や京都で修業を積んだ後、高山市にあった高級料亭「金亀館」で働いたが、修業時代に食べた中華そばの味が忘れられず、再現しようと試行錯誤を重ねた。

 時宗さんはラーメンを完成させると、一九三八(昭和十三)年、現在の観光名所「古い町並み」近辺で屋台を引いて売り歩くと、たちまち人気となった。その後、長女の名前「正子」にちなみ、現店名に改めたという。

まさごそばでは今も、店内のメニューに記載されているのは「中華そば」。では、誰が高山ラーメンと命名したのか。答えは高山市ではなく、かつて鉱山で栄えた飛騨市神岡町にあった。江戸時代に創業された老舗土産店「老田屋」を訪ねると、九代目社長の老田英司社長は「確かに先代が名付けました」と認めた。

 ご当地ラーメンの走りとして、札幌ラーメンが関東を中心に人気を博していた七三(昭和四十八)年ごろ。「札幌ラーメンっていいな」と目を付けたのが先代社長の老田哲康さん(一九四二〜二〇一九年)だった。

 老田屋はもともと、小麦や油、米の卸小売業だったが、五代目の時にうどんやそばの麺を店頭販売したり、食堂やそば店に卸したりするようになった。

 当時、生麺は要冷蔵のため、土産物には適さなかった。保存料として酒を用いることで、麺を常温保存する技術を開発。高山市の土産品として「高山ラーメン」と名付けて販売した。売り上げは好調だったが、地域名を含んでいるため商標として登録はできず、その後、高山ラーメンを販売する会社は、県外を含めて十数社になったという。

 ご当地ラーメンとしての知名度が上がるにつれ、アレンジされた高山ラーメンも多く見受けられるようになった。今回、取材した人たちは「決して悪いことではない」と口をそろえる一方、昔ながらの味を守ろうという意識は強い。

 高山市内で中華そばを提供する老舗五店は二年前、伝統の製法を継承しようと「飛騨高山中華そば伝承会」を結成。ラーメン関係者らと座談会を開くなどして、麺やスープの作り方や、文化を守り継ごうと奮闘している。坂口さんは「食が変化していくのは当然の流れ。だが、伝統の味もずっと飛騨の食文化として受け継がれていってほしい」と願っている。 


posted by terry at 09:26| Comment(0) | ご当地グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: